🌾実るほど頭の下がる稲穂かな🌾
宗教の授業で最も心に残っている言葉を2つ紹介させてください。
一つ目は
🌾「実るほど頭の下がる稲穂かな」🌾
もう一つは
👣「尊いのは足の裏である」👣
「実るほど頭の下がる稲穂かな」という言葉については、知らない人はまずいないんじゃないかと思うのですが、この解釈について、私は「人間、偉くなっても謙虚でいなければならない」という意味だと思っていました。でも宗教の先生は、それが誤っていると言うのです。
先生が言うには、人間として豊かになり己を知れば知るほど、強い欲望(煩悩)から逃れられない自分に気づき、そんな自分でも毎日を暮らしていることに対して感謝の気持ちが湧き上がって来る。つまり「生きている」のではなく「生かされている」と言うことに気づく。その気づきがあると、何でも自分でできると思っていること、生きている、と思っていることが、実は「生かされている」のだということに気づくのだと言います。そしてそのことに気付いた時こそ人は自然と謙虚にならざると得ない、、、頭は下がらざるを得ないのだ、、、と言うことのようでした。
その授業を聞いて、何というか本当にハッと目が開かれたというか、目からウロコというか、頭を殴られたような思いになったことを覚えています。
そうか、、、自ら頭を垂れるのではなく、頭は自然に下がるものなのだと。。。
と考えてみると、自分は偉くなったのだから、謙虚にならなければならない!といった考え方が、どれほど傲慢であったか、身の程知らずであったのか、、、ということに思い至ります。。。
以来、この言葉は私から離れることなくずっと心の中で生き続け、クリスチャンとなった今も、私に大きな影響を及ぼし続けていると言って過言ではありません。
ちなみに、初めての娘にはこのような人に育って欲しいと、この言葉にちなんだ名前を命名しました。ご主人も両家の祖父母も、私がつけたかった名前に反対しないでいてくれたことは、今もとても感謝しています⭐️