🧛‍♂️吸血鬼ドラキュラ🧛‍♂️

本日はブラム・ストーカーの🧛‍♂️吸血鬼ドラキュラ🧛‍♂️のお話です。

吸血鬼って知ってますよね。誰でも知ってる有名なドラキュラ伯爵なんですが、原作を読んだことのある方はあまりいないのではないかと思います。

私も池田先生の「文学概論」のテキストになっていなかったら多分読むことはなかったのではないかと思います。。。

簡単に「吸血鬼ドラキュラ」について紹介すると、、、

ドラキュラ伯爵というのは、ルーマニア🇷🇴に居城をもつ伯爵なのですが、この度?ロンドン🇬🇧に進出をはかることにしまして、その法律関係のなんやかやのために弁護士さんを雇うことにしました。。。で、その雇われた弁護士さんがドラキュラ伯爵に怪しさに気付きまして、恋人や仲間たちと一緒にドラキュラと闘う!というお話です(超省略、笑)。

で、その闘いの中で、弁護士さんの彼女とかその友達とかの美しい女性が次々とドラキュラ伯爵の餌食になって行くのですが、問題はココですね。ドラキュラ伯爵に血を吸われた人たちは、少しづつ少しづつ血液量が減少して死に至る、、、のではなく、自分もドラキュラと同類となり、誰か他人の生き血を吸うことによってしか生き延びることができない、、、身体になってしまうのです。。。

フムフムそうか、それはお気の毒にな、、、と物語の世界ではこれで済むのですが、実際の社会にこの問題を当てはめてみると面白いことに気付きます。

つまり、現在の資本主義社会でドラキュラ(搾取する人)に取り込まれた人は、自分もまたドラキュラ同様、他人の生き血を吸うこと(人を搾取すること)によってしか生きて行きのびることができない存在になってしまう。。。そして、そのことを拒否した時には「死ぬ」ことしか選択肢が残されていないのです🧛‍♀️

私が「文学概論」の講義を受けたのは30年前のことになりますが、この物語は、今でも、いや今の方がさらに、社会の真実を表しているように思えてなりません。

 

 

2011年の地震で福島第一原発がメルトダウンを起こし、多くの何の罪もない人たちが住み慣れた故郷を追われ、そのために多くの人が命を落としました、、、にもかかわらず、自分の保身のため、自分の地位のため、自分の既得権益のために、、、「原発」という人の命をないがしろにするよう「たかが」発電方法にこだわって、止めようとしない人々を見て、池田先生の「吸血鬼ドラキュラ」の講義が思い出されてなりませんでした。

大学時代は観念的にしか捉えることができなかったこの言葉の重みが、現実の重みを持って蘇って来たのです。

つまり、、、

「ドラキュラに生き血を吸われた人はまた、人の生き血を吸っってしか生きていくことができない存在になる。。。ということです。

 

今の言葉で言うと「勝ち組」とか「勝ち馬に乗る」とかいう表現がピッタリ来るのかもしれません。

「勝ち組側に残るために勝ち馬に乗る」

現代の日本では、多くの人が疑問を抱くことなく信じている「教義」のようにさえ見えます(少なくとも私が以前働いていた会社の駐在員はそうでした)。

そこに「勝ち馬に乗れなかった人」の存在はありません。「勝ち馬」があれば「負け馬」があります。「勝ち組」があれば「負け組」があります。

自分が「勝ち組」に残るということは「負け組」の人たちから搾取しつづけて生きて行く、ということに他ならないのです。

自分さえ勝てばいいのでしょうか?自分さえお金を儲けておもしろおかしく人生過ごせればいいのでしょうか?

 

「勝ち組」に入れなくてもいい、「勝ち馬に乗れなくてもいい」、人の生き血を吸って生きて行くような存在に成り下がりたくはない、、、と改めて、切に願う私です。。。

 

てか、ドラキュラって、絵文字あるんですね。有名人過ぎてわろた🧛‍♂️

池田浩士先生

私の大学時代は、先に書いたように原発反対の運動や黒田ジャーナルでのお手伝い、後述する海外への放浪旅行のための資金稼ぎバイト等で忙しくしており、大学の勉強には全く興味が持てませんでした。単位を取得するために試験前に最低限の勉強はしましたが成績は悪く、ほとんどがCという惨憺たる有様でした。

その全く興味が持てない授業、魅力のない教授陣の中で、唯一ただ1人私を夢中にさせた先生がいました。池田浩士先生です。

当時、池田先生は京大教養学部の教授であったと記憶していますが、週に一回、立命館大学に来て「文学概論」という講義を担当してくれていました。

文学概論では、あらかじめ与えられたテキストとなる小説を一冊読んでくることが求められており、翌週の講義で、その小説を先生とともに紐解いてゆくという講義形式がとられていました。

日本文学という偏った世界しか知らなかった私はその講義を通して、世界の多くの優れた作家と出逢い、先生の小説の捉え方を通して、現在にも通ずる様々な問題の本質を見抜く眼を養い、また大袈裟にいうならば自分自身を含めた「人間」の本質、問題点を意識的に考えることができるようになったと思っています。

池田先生が偉大な方であるということは、他のどなたかの文章を参照していただきたく思いますが、簡単にご紹介すると、先生は本来ドイツ文学を研究する学者であり、ナチス文学からナチスの歴史、天皇の戦争責任、天皇制、死刑問題等、多くの社会問題に対しても積極的に発言を行なっている方です。

社会でタブーとされている問題に舌鋒鋭く切り込む姿は、いささか厳しすぎると感じることさえありますが、その視点は常に弱者ー中でも社会の最も弱く虐げられている人々に寄り添った視点であり、厳しさと戦いの中に優しく温かい「愛」が溢れているのを感じます。本当に本当に素晴らしい先生です。

正直、立命館大学の4年間は大学から得たものはほとんど何もないと言ってもいいくらいなのですが、池田先生の講義を受けられたことは、私の一生の財産と言っても過言ではありません。

先生の講義を通して、私は最も好きな作家の1人であるヘルマンヘッセと出逢い、ドストエフスキーの深さを知り、江戸川乱歩の反骨精神に触れました。また先生の天皇制と天皇の戦争責任についての考察から、戦後の日本がこの問題に蓋をし続けて来たこと、また蓋をしたままでは日本人は変われないこと、日本はどこにも進めないことを学びました。

原発事故の後、日本を見ていてよく思い起こされる池田先生の講義があります。

「吸血鬼ドラキュラ」の講義です。今回は長くなってしまったので、次回、吸血鬼ドラキュラについて、書かせていただければと思います。

👣尊いのは足の裏である👣

中学3年生くらいの宗教の時間だったと思います。

その日の教材は坂村真民さんの詩でした。

授業始めに先生から配られたわら半紙には坂村真民さんの詩が15篇ほど、印刷されていました。

まず、その詩を黙読することを指示され、宗教の時間なんか休み時間と思っている私達は、テキトーに読み流して、後は自分たちの話題で盛り上がっていました。

一通り、読み終える時間が過ぎ、先生が何人かを指名して、どの詩が好きか?どうしてそう感じたのか?を聞いてゆきました。

その日、運悪く私も指名され、もちろん何か答えなければならなくて、先ほどザっと読んで、何となく心に残っていた詩の題名を答えました。それが「尊いのは足の裏である」だったのでした。

その詩が最も心に残ったと答えたのは、初めての生徒だったこともあってか、先生は「そうですか!僕も一番この詩が好きなんですよ。どうしてこの詩が心に残りましたか?」と、とても嬉しそうに尋ねてくれました。「ちょっと地味な詩だよな〜、自信ないな〜」と思いながら答えた私は、先生も好きだと言ってくれたことで何となく嬉しく、少し誇らしい気持ちになったことを覚えています。

でも先生の「どうして?」という問いに、私には答えることができませんでした。どうして心に残ったのか?その言葉に共感を覚えたのか?わからないのです。。。「なんとなく。。。」それしか言えなかったことが残念でした。。。

でも今思い返すと、その「なんとなく」惹かれたその思いは、後々まで私の中から消えることなく常に私の生き方に影響を与え続けてきた様に感じるのです。

それは、社会の中で脚光を浴びることなく、顧みられることなく、蔑まれさえする仕事を担う人こそが、社会の土台であり、最も尊敬すべき人なのだ、、、という思いと言い換えてもいいかもしれません。。。

そして、その後も私は常に自分もそうありたいと願い(実際はともかくwww)また、そのような人格を持つ人に魅力を感じ続けてきました。

 

🌾実るほど頭の下がる稲穂かな🌾

宗教の授業で最も心に残っている言葉を2つ紹介させてください。

一つ目は

🌾「実るほど頭の下がる稲穂かな」🌾

もう一つは

👣「尊いのは足の裏である」👣

「実るほど頭の下がる稲穂かな」という言葉については、知らない人はまずいないんじゃないかと思うのですが、この解釈について、私は「人間、偉くなっても謙虚でいなければならない」という意味だと思っていました。でも宗教の先生は、それが誤っていると言うのです。

先生が言うには、人間として豊かになり己を知れば知るほど、強い欲望(煩悩)から逃れられない自分に気づき、そんな自分でも毎日を暮らしていることに対して感謝の気持ちが湧き上がって来る。つまり「生きている」のではなく「生かされている」と言うことに気づく。その気づきがあると、何でも自分でできると思っていること、生きている、と思っていることが、実は「生かされている」のだということに気づくのだと言います。そしてそのことに気付いた時こそ人は自然と謙虚にならざると得ない、、、頭は下がらざるを得ないのだ、、、と言うことのようでした。

その授業を聞いて、何というか本当にハッと目が開かれたというか、目からウロコというか、頭を殴られたような思いになったことを覚えています。

そうか、、、自ら頭を垂れるのではなく、頭は自然に下がるものなのだと。。。

と考えてみると、自分は偉くなったのだから、謙虚にならなければならない!といった考え方が、どれほど傲慢であったか、身の程知らずであったのか、、、ということに思い至ります。。。

以来、この言葉は私から離れることなくずっと心の中で生き続け、クリスチャンとなった今も、私に大きな影響を及ぼし続けていると言って過言ではありません。

ちなみに、初めての娘にはこのような人に育って欲しいと、この言葉にちなんだ名前を命名しました。ご主人も両家の祖父母も、私がつけたかった名前に反対しないでいてくれたことは、今もとても感謝しています⭐️

精神世界への憧れ

これまで書いてきたことだけを読むと、私の学生時代は左寄りの社会派みたいに感じますが、実はその一方で精神世界への憧れがとても強くありました。

中学高校を通して最も好きな授業は「宗教」でした。大谷高校は言うまでもなく浄土真宗大谷派の学校で、毎週1時間、宗教の授業があり、親鸞の教えを学ばなければなりませんでした。もちろん中高生が親鸞の教えを理解することは難しいわけですから、宗教の先生はあの手この手で、ぐうたらで宗教の授業なんて昼寝の時間としか思っていない女子高生たちに親鸞の教えを伝えようをしていたのだと思います。

私ももちろん、授業を毎回真面目に聞いていたわけではないけれど、「道徳」の時間は吐き気がするほどうざかった割に、宗教の授業で聞いた話は今も心に残っていることが多いです。多分、同じことを言っていても、その教師のバックグラウンドが透けて見えてしまうと素直に聞いていることができなくなってしまうのです。「学習指導要綱」に従って、「嘘」や「綺麗事」を並べるだけの教師の言葉に本能的に反抗的な思いが湧き上がってきてしまいます。キライな担任の道徳の時間には、「先生、自分 、できるんですか?」って質問したりして「わからない」と答える教師に「教える資格あるんですか?」と、1人で授業ボイコットをしていたこともあります。。。

一方、宗教の先生(僧侶兼社会の教師)は大好きで、私たちが生きている地上の世界を一段上から鳥瞰しているような言動に、何かしらの畏れ、敬意を抱いていました。私たちが地上世界で右往左往していることが低次元のことであるかのような達観した物言いに、何か自分はまだ見えないもの、理解できない世界観、到達できない真実が含まれているような強い憧れがありました。

日本人は宗教にアレルギー反応を起こす人が多いですよね。普通の会話で「変な人」と思われたくなければ、政治と宗教の話はタブーです。「ヤバイ」「危ない」「ダサい」ヤツになってしまうからです。でも私は黒田ジャーナルとの交流を通して「政治」にとても敏感になっていましたし、原発反対で「社会運動」めいたことにも足をつっこんじゃってましたし、宗教の先生との出会いによって「宗教」に対するアレルギーも全くない人になっており、そこまでいくと、逆にもう「怖いものはない」状態になってしまっちゃっていたように思います。。。

広瀬隆「危険な話ーチェルノブイリと日本の運命」との出会い

📖大学2回生の頃だったかと思います。大谷さんがある日「この本、ベストセラーだけど知ってる?」と手渡してくれた本がありました。広瀬隆さんの「危険な話ーチェルノブイリと日本の運命」です。知らないという私に「これは絶対に読まなければいけない!!これ読んで、オレは本当に衝撃を受けた。オレは一体何やってんだ!こんなことしてていいのか?といてもたってもいられない気持ちになった」と言うのです。そこまで言われては読まないわけにはいきません。私も即座にその本を読み始めました。

本の内容については、ご興味のある方には是非、ご自身でこの本を紐解いていただきたく思うのですが(30年ほど経っていますが色褪せてはいないと思います)、その時に受けた私の衝撃は、ごく控えめに言っても「😱世界がぶっ飛んでしまうくらい😱」だったことを覚えています。原子力発電や放射能と言うものへの知識のなさは言うまでもなく、原子力産業を支える社会構造や、事故が起こった場合の「国」というもののあり方、また世界を牛耳っている影の支配者の存在。。。全てが詳細なエビデンスを元に浮き彫りにされ、平易な文章で描き出されていました。

それをキッカケに、広瀬さんの本をものすごい勢いで読み始めた私は、1冊読み終えるごとに世界の真実を解き明かす扉を1つづつ開けて行ったような気がします🔑

私はその思いに共感してくれた大学時代の友人と「居ても立っても居られ」ず、原発反対で自分にできることに、可能な限り時間を費やすようになりました。

とはいえ、昔から「人とつるむ」ということが苦手であり、本能的に胡散臭いものを感じる性格であったためか、「反原発」グループに所属するようなことはなく、完全に「個人」で京都の街頭に立ち、署名等を集めるようなことをしていました。

1人、また友人と2人で街頭に立つことは、結構勇気のいることです。1日立っていても10名の署名ももらえない日もあります。雨の日☔️もあります。「原発イヤなら電気使うなよ!」等、嫌がらせを言われることもあります。それでも優しい方もいて、署名をしてくれるだけでなく「寒いのに偉いわね」「がんばって」「カンパするね」等のお声をかけていただけることもありました。

今の時代と違って携帯もインターネットもなく、手書きのポスターと自分の足で歩くという、、、今思っても「ほとんど何の役にも立ってなかったやんwww」と思うのですが、学生時代の休日なんて、友達とダラダラ過ごしたり、バイトに明け暮れたりするだけなんだから、このような「何かよくわからないけど必死の」時間を過ごしたことは自分の人生にとっては無駄ではなかったんじゃないかな???とは思っています😊

黒田ジャーナルを通して出逢った方々

黒田ジャーナルへの出入りは、黒田さんや大谷さん、若手記者からの学びだけでなく、私にとってその後の人生に大きな影響を与える方々、本との出会いを与えてくれました。

本田靖春さんや筑紫哲也さんという20世紀を代表する偉大なジャーナリスト達も、大阪に来るたびに黒田さんとの交流がありました。本田靖春さんは言うまでもなく多くの本をお書きになり独自の視点から「昭和」という時代の鋭い検証を続けておいででしたし、当時の筑紫哲也さんは、雑誌「朝日ジャーナル」の編集長として、ジャーナリストを志す若者の憧れの人でした。そんな方々の交流(ただの飲み会www)を一大学生の分際で目の当たりに出来たことは、今思い返しても本当に貴重で贅沢な時間だったと感じています。

他にも黒田ジャーナルを通して、一水会の鈴木邦男さんとも親しくお話させていただく機会を得ました。当然のことながら「左寄り」だった当時の私は、はじめ「新右翼」と呼ばれる鈴木さんのことを「怖い」とか「理解不能」としか思えませんでした。でも話してみると、鈴木さんは物腰柔らかく考え方も柔軟で、天皇制に対する考え方もしっかりとしたご自身の哲学、人間観に基づくものであり、納得はできないものの理解できるものでした。その様な考え方や立ち位置の違う方からのお話は本当に勉強になり、その後も鈴木さんの発行する「レコンキスタ」という会報を毎月、送ってもらって読ませてもらう様になりました。

大学を卒業して日本を離れたこともあり、その後、鈴木さんとの交流は途絶えていますが、最近、原発事故等に関して、多くの発言をなさっている鈴木さんにメディアを通して再会し、やはり鈴木さんは「本物」だったと、密かに嬉しく感じています。

最後に大谷さんを通して出会った本で、今も私の人生を大きく変えることになった本をについて書いて、黒田ジャーナルの章を終えたいと思います。

広瀬隆さんの「危険な話」です。