池田浩士先生

私の大学時代は、先に書いたように原発反対の運動や黒田ジャーナルでのお手伝い、後述する海外への放浪旅行のための資金稼ぎバイト等で忙しくしており、大学の勉強には全く興味が持てませんでした。単位を取得するために試験前に最低限の勉強はしましたが成績は悪く、ほとんどがCという惨憺たる有様でした。

その全く興味が持てない授業、魅力のない教授陣の中で、唯一ただ1人私を夢中にさせた先生がいました。池田浩士先生です。

当時、池田先生は京大教養学部の教授であったと記憶していますが、週に一回、立命館大学に来て「文学概論」という講義を担当してくれていました。

文学概論では、あらかじめ与えられたテキストとなる小説を一冊読んでくることが求められており、翌週の講義で、その小説を先生とともに紐解いてゆくという講義形式がとられていました。

日本文学という偏った世界しか知らなかった私はその講義を通して、世界の多くの優れた作家と出逢い、先生の小説の捉え方を通して、現在にも通ずる様々な問題の本質を見抜く眼を養い、また大袈裟にいうならば自分自身を含めた「人間」の本質、問題点を意識的に考えることができるようになったと思っています。

池田先生が偉大な方であるということは、他のどなたかの文章を参照していただきたく思いますが、簡単にご紹介すると、先生は本来ドイツ文学を研究する学者であり、ナチス文学からナチスの歴史、天皇の戦争責任、天皇制、死刑問題等、多くの社会問題に対しても積極的に発言を行なっている方です。

社会でタブーとされている問題に舌鋒鋭く切り込む姿は、いささか厳しすぎると感じることさえありますが、その視点は常に弱者ー中でも社会の最も弱く虐げられている人々に寄り添った視点であり、厳しさと戦いの中に優しく温かい「愛」が溢れているのを感じます。本当に本当に素晴らしい先生です。

正直、立命館大学の4年間は大学から得たものはほとんど何もないと言ってもいいくらいなのですが、池田先生の講義を受けられたことは、私の一生の財産と言っても過言ではありません。

先生の講義を通して、私は最も好きな作家の1人であるヘルマンヘッセと出逢い、ドストエフスキーの深さを知り、江戸川乱歩の反骨精神に触れました。また先生の天皇制と天皇の戦争責任についての考察から、戦後の日本がこの問題に蓋をし続けて来たこと、また蓋をしたままでは日本人は変われないこと、日本はどこにも進めないことを学びました。

原発事故の後、日本を見ていてよく思い起こされる池田先生の講義があります。

「吸血鬼ドラキュラ」の講義です。今回は長くなってしまったので、次回、吸血鬼ドラキュラについて、書かせていただければと思います。